結局、自分が楽しく暮らして行けるように考えれば良いんだよ

なんか、こういう新年の抱負とか考えるとき、どうして格差は無くならないのかとか、世界平和とか、大きく物事を考えてしまいがちだし、そういうのが必ずしも悪いとは思わないんだけど、やっぱ、もっと身近なスケールで、どういう風になれば自分は平和になるのかな、って考えるのが一番大事なんだと思う。
人のことは、いいから。だって、みんな一人一人が自分の事を考えているはずなんだから。自分が暮らしている町や、職場や、状況が、どうなれば理想なのか。 現実は、理想に対してどうなのか。 現実を理想に近づけるには、どうするか。そうしたあたりを洗い出したり考えたり調べたりするのが大事なのであって、気分やファッション感覚で、何か募金してみるとか、何かデモに参加してみるとか、そういうのは大切じゃない。煽動されていてどうするの。
結局、自分が楽しく暮らして行けるような町を作れるように考えれば良いんだよ。って、当たり前なんじゃないだろうか。国のためとか、市のため、じゃなくって、自分のため。それで良いんだよ。ただ、自分が良くあるためには、世界との関係もあるわけなんだから(一人じゃ生きていけないし、自給率100%な暮らしをしている訳でもない)、そこは自然と考えることになるはず。 でも、そう考えるとき、お互い殴り合いながら暮らしていきたいとは思わないはずだと信じている。
今日も、蘇我から仁戸名の方へ、1万2千歩ほど歩いた。この町はとてもよい町だと思うのだけれども、老朽化した家や、店主高齢のため閉店しましたなんて張り紙やらを見て、どうしたって、うまく賑わっている感じは受けない。独立した店は、周辺の人口密度が 7000人/km^2を超えていないと、十分なお客さんの数が得られなくて、やっていくのが厳しくなるそうなのだけど、千葉市中央区って、実は人口密度 4000人/km^2 前後なんで、これは厳しい。外部と、うまく交流して進む以外には、この町の幸せは存在しえないように思えるのだから、だから、人当たりが良くて心温かい暮らしぶりをすることが大切なはず。そんな感じの楽しい生活を考えている。

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