1. はじめに:日本人にとってのアメリカ像と現実のズレ
日本では「自由の国」「民主主義の先進地」というアメリカ像が根強く残っています。ハリウッド、シリコンバレー、そして大統領選挙。どれもが“開かれた社会”の象徴と見なされてきました。
しかし、2025年現在、実際にアメリカで起きていることは、そのイメージを大きく裏切るものです。
本記事では、アメリカが静かに、しかし急速に「貴族社会」へと変貌しつつある現実を、2つの視点から見ていきます。
- 富と資本の集中による“選ばれた者だけの経済圏”の出現
- 行政制度を急速に書き換えるProject 2025の政治的実装
この2つが交差するところに、選挙では選ばれていない“新しい支配層”が現れています。
2. 格差は「過程」ではなく「体制」になった
格差という言葉は、長らく「是正できる差」として語られてきました。努力や教育、機会の均等によって縮小されうるもの、と。
しかし今のアメリカでは、格差は「社会の構造そのもの」となりつつあります。富は、公開された市場ではなく、非公開の資本ネットワークの中で回され、増殖しています。
その象徴が、イーロン・マスク氏の周囲に形成された“PayPalマフィア”とも呼ばれる経済ネットワークです。彼らは、外部から見えない形で、株式や事業機会を「内輪」で回し、資産を世襲的に積み上げています。
これはピケティが指摘する「r > g(資本収益率が経済成長率を上回る)」の現実的な姿であり、格差はすでに「固定された秩序」になってしまいました。
3. マスク氏の非公開資本ネットワークと“公開の拒否”
SpaceX、xAI、Neuralink、The Boring Company──これらはすべて、マスク氏が率いる未上場企業です。
彼の初期の企業であるテスラだけは上場していますが、それ以外は意図的に「上場しない」ことを選択しています。
代わりに取られている手法が、SPV(特別目的事業体)を活用した非公開株の限定販売です。仲間内の超富裕層にだけアクセスを許し、株主リストや財務状況が外部から見えない構造を維持しています。
この閉じたネットワークによって、
- 成長の果実は“選ばれた者”だけが享受し、
- 一般市民はその実態すら知ることができず、
- 法的にも開示義務が発生しない
という「透明性なき資本主義」が形成されています。
4. Project 2025は「乗っ取り」ではなく「再設計」だった
Project 2025は、2023年にヘリテージ財団など保守系シンクタンクによって出版された政策提言書であり、約1,100ページにわたって行政改革や価値観政策についての提案が記されています。日本ではあまり知られていませんが、これはアメリカの保守派が次期政権に備えて用意していた「政策の青写真」のようなもので、トランプ氏の2期目当選が確定した後、政権移行チームが政策を検討する際にこの文書を積極的に参照しました。実際、政権移行チームの中にはこの文書の執筆メンバーが複数含まれており、Project 2025は“公式には計画ではないが、実質的な指針”として大きな影響を与えることになりました。
この文書自体は、元々「官僚主導の岩盤規制をどう改革するか」という、真面目な行政改善の試みでもありました。
しかし、トランプ政権の政権移行期において、その一部(とくに行政人事、忠誠主義的改革、安全保障分野の強権化など)が断片的に悪用され、
- 行政機構の忠誠化(Schedule F1)
- 連邦機関の裁量権縮小
- 政策決定の即断即決主義
といった形で、実質的な「国家再設計」が行われています。
意図は必ずしも悪ではなかったかもしれません。 しかし、制度の外から強引に実装されることで、“乗っ取り”のような実態を生んでしまったのです。
5. DOGE:非公式の権力と透明性なき影響力
正式な行政組織ではない「DOGE(Department of Government Efficiency:政府効率局)」と呼ばれる非公式ネットワークが、トランプ政権下で政策の中枢に食い込んでいます。
マスク氏はこのチームの“相談役”ないし事実上の主導者として、
- 行政コスト削減
- デジタル化・自動化
- 官僚の削減
といった名目のもと、実質的には官僚機構を無力化する提案を次々と提示。
この動きは「効率化」と呼ばれますが、
- 政策決定の正当性
- 国民への説明責任
- 公務の継続性
といった民主主義の土台を侵食する危うさを孕んでいます。
しかも、DOGEに関わる人々は政府の正式職員ではないため、誰も説明責任を負っていないのです。
6. 国家と資本が融合した「現代の貴族制」
こうして生まれているのが、
- 制度の外から動かす力(非公式政策ネットワーク)
- 内輪だけで資産を運用・蓄積する閉鎖経済
が一体化した、新しい支配モデルです。
それはもはや“民主主義のなかの格差”ではなく、民主主義の構造そのものを外から凌駕する力として機能しています。
選挙を経ず、情報開示もなく、法の適用範囲すら曖昧なまま、国を動かす。
形式的にはまだ「民主国家」でありながら、実態としては“非公式な君主制”が併存しているような状態です。
7. 民主主義は負けていない
ここまで述べてきたように、アメリカではいま、富と権力が限られた人物やネットワークに集中し、民主主義の構造が揺らいでいます。しかし、それでも私は「民主主義が終わった」とは言いたくありません。
なぜなら、民主主義と自由主義は同じではないからです。
自由主義とは、個人の自由や市場の自由を尊重する理念であり、しばしば国家の介入を抑制する方向に向かいます。一方で、民主主義とは、全員がルールに参加し、ルールに従って社会を動かす仕組みのことです。民主主義は、単なる選挙のことではなく、
- 権力分立
- 透明な情報開示
- 公正な議論
- 少数派の権利の保護
- そして、何よりも「ルールへの敬意」
を基盤にしています。
この「敬意」が欠けたとき、民主主義は意外なほど簡単に壊れます。
民主主義は、単なる制度ではなく、過去2000年以上にわたる失敗と反省の積み重ねから生まれた“ルールブック”です。暴君の登場、貴族の腐敗、戦争と革命、あらゆる歴史の中で、何が人間社会に必要かを検討し直しながら磨かれてきた知恵です。
しかし、もしこのルールブックを「面倒」「非効率」として破り捨てる人物がパワーを握ったとき、私たちは歴史を逆行することになります。今のアメリカでは、まさにその事態が現実になっているのです。
それでも希望があるのは、いまこの瞬間にもルールを守ろうと行動する人々が存在しているということです。
たとえば、カリフォルニア州やニューヨーク州、イリノイ州、マサチューセッツ州など、少なくとも12の州政府が、
- Project 2025に沿った連邦政府の命令に準拠しない条例を可決したり
- 知事が「民主主義を守る州連合」への参加を表明したり
- 州の司法が、大統領令の執行を一時停止する判断を出したり
といった行動を起こしています。これは、アメリカという国が「1人の指導者」によって単純にコントロールできる国ではないという証明でもあります。
今はまだ、民主主義が“勝利”したわけではありません。 しかし、敗北してもいません。
そしてそれは、制度が頑丈だからではなく、ルールに敬意を払い、守ろうとする“意思”がある人々がいるからなのです。
8. 結び:かつて自由を体現した国の、現在地
アメリカはかつて、自由、民主主義、平等の象徴として世界中から注目されてきました。
しかし今、そのアメリカは、一部の選ばれた人間だけが資本と政策を動かす「貴族社会」へと傾いています。
しかもその変化は、戦車や暴力ではなく、制度の内側から静かに進んでいる。
民主主義がまだ生きているからこそ、これは最後の分岐点なのかもしれません。
次回の記事では、こうした権力構造の裏にあるもうひとつの要素──「宗教」の問題を扱います。
「宗教の自由」の名の下に広がる宗教支配と、政教分離の形骸化。その深層にある価値観の衝突について、あらためて考えます。
Footnote
- Schedule F は、トランプ政権が2020年に提案した連邦職員制度改革で、一部の政府職員を「政治的任用職(political appointee)」として再分類し、大統領が自由に解雇・任命できるようにする仕組みです。
制度としては一度撤回されたものの、2025年1月21日に大統領令によって再導入され、現在では国家公務員の中立性と雇用保護に反するとして複数の労働組合が連邦裁判所に提訴しています。
訴訟では、1978年の公務員制度改革法との整合性や、行政手続法(APA)に違反している点が争点となっており、Schedule F は単なる人事改革を超えて、行政機構の独立性と民主主義の根幹を揺るがす制度として、全米で注視されています。 ↩︎